卑弥弓呼は、邪馬台国と敵対していた人物です。
身分は狗奴国の男王とされていて、正始八年(西暦247年)の出来事で登場します。
目次
「卑弥弓呼」の読み方
一般的に、「卑弥弓呼」は”ひみここ”または”ひみくこ”と読まれることが多いですが、読み方は分かっていません。
少数派ですが、「ひみくく」「ぴみくく」「ひみきゅうこ」「ひみくこ」「ひこみこ(の誤字)」などと読む説もあります。
当時の日本・中国それぞれの発音に加え、方言も考慮すると、どういった発音だったかを特定するのは難しいため論争が起こっています。
魏志倭人伝(魏書)による列伝
魏志倭人伝に記述された内容は以下の通りです。
其八年、太守王頎到官。倭女王卑弥呼與狗奴国男王卑弥弓呼素不和。
『三国志』巻30『魏志』「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条
狗奴国という国の男王だったようです。
狗奴国は女王国には属さず、卑弥呼と敵対していたと記載されています。
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。
『三国志』巻30『魏志』「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条
一般的には卑弥呼は邪馬台国の女王とされているので、古代日本では邪馬台国 VS 狗奴国という構図で争いがあったようです。
卑弥弓呼は何者か?
卑弥弓呼素が名前説(熊襲説)
魏志倭人伝に出てくる”卑弥弓呼素”という文は、一般的には「卑弥弓呼は素より」と読みます。
しかし実は”卑弥弓呼素”が名前である、と考える説です。
”呼素”は「襲國の酋長など」を指すと推測し、「襲國(九州南部の熊襲の国)」の人物だと考えます。
九州説・畿内説共に、現状はこの熊襲説が主流になっています。
蝦夷の人物説
狗奴国を毛野国(現在の栃木県・群馬県一帯)と比定し、毛人、つまり蝦夷の人物と考えます。
明治~昭和の国学者・山田孝雄の説です。
伊予の人物説
狗奴国を伊予国風早郡河野郷(現在の愛媛県松山市北条)と比定し、伊予の国の人物と考えます。
本居宣長、吉田東伍らの説です。
彦御子(天皇の息子)説
「卑弥弓呼」を「卑弓弥呼」の誤りであり、「彦御子(ひこみこ)」つまり天皇の息子とする説です。
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